その126 身体技術上達試論①

 三度目の緊急事態宣言下ですが、皆さんいかがお過ごしですか。ワクチンの接種が広がり、いま少しの辛抱かと思われます。
 私の方も巣籠もり生活の中「たたみ一畳の修行」を続け、剣道への気持ちをつなげています。
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R02.03.01「号外 休館やむなし!たたみ一畳の修行」

 近い日に、新宿剣連で皆さんと剣を交える日が来ることを待ち望んでいます。
 今回から、表題にありますように、竹刀を手に畳の上で思い描いた身体技術上達のための試論を展開していきたいと思います。
 『五輪書』を手がかりに剣道の術理を考察する、といったら大げさですが、しばらくおつき合い下さい。

はじめに
 『五輪書』の冒頭に「兵法の利にまかせて、諸芸・諸能の道となせば、万事におゐて、我に師匠なし」というくだりがあります。兵法とは太刀をつかうみち、すなわち「剣術」のことを指しております。
 それは同書の、「太刀よりして兵法といふ事、道理也。太刀の徳よりして世を納め、身を納むる事なれば、・・・・・・・・・・・太刀は兵法のおこる所也」と述べております。
 実際に武蔵は、剣、書、絵画はいうに及ばずあらゆる諸芸・諸能に通じていたとのことです。
 この「万事におゐて、我に師匠なし」の表現には大変な自信のほどがうかがわれます。
 すなわち武蔵は、太刀のみちを極めることにより、すべての道に通じる「開かれた能力(上達法)」を身につけたことになります。
 さて、時世は四百年下ったいま、武蔵の剣技とは遙かほど遠く、拙劣なものしか持ち合わせておりませんが、愚生ながらこの道一途に六十年、私なりに備えた剣の術理が、諸道との橋渡しをする助力となるならばと、恥を顧みず、「身体技術上達試論」と題し、したためさせて頂きました。
 それぞれの道を極めるうえで、何らかの発想の転換に資することができれば幸いです。

「間合」について
 本来間合は、時間、空間あるいは拍子等を含んだ日本の伝統的概念でありますが、ここでの設定はわかりやすくするため、間合を単に「距離」というふうに考えましょう。
 剣道でいう彼我の間合は、野球でいえばピッチャーとバッターとの距離であります。剣道では一般的に間合は遠い方がよいとされています。ですから、いきおい打ち出す間合は遠い方がよいと考えられがちです。
 しかし実際は、遠間から飛び込めることが必ずしも有利とはいえません。なぜならば、この間合をピッチャーとバッターとの関係で対比し、仮にピッチャーが遠間(マウンドの位置を後方にずらす)をとればどうなるでしょう?
 後ろに下げれば下げるほどピッチャーが不利でバッターが有利となるのは明白です。そのことを剣道に置き換えれば、遠くから打ち出していった方が不利ということになります。
 昔、手裏剣術の教えで、「必ず敵を倒すためには、三歩の距離まで敵を近付けなければならない …中略… 勝ちを焦ったりして遠間から打ち込んだら、やり損じる」というのがあります。
 それらのことを考え合わせると、剣道においても遠間からの打ち出しは「勝ち焦り」あるいは「間合が切迫する怖さ」のあらわれであると言えなくありません。
 野球では当たり前の話でしょうが、このことは剣道の打ち間を考えるうえで大きな視点と考えます。
 剣道の指導者の多くが、遠間からの打突を推奨する理由は他にありそうですが、このことは本題からはずれるので、ここでは敢えて論じません。
 次回は、「速さ」について述べたいと思います。
つづく

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